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第三章 ジョイント速読法の訓練 ④右脳にスタミナをつけよう!

右脳にスタミナをつけよう!

さて、十秒間の単位時間で十頁を見、その後、ペースを半分に落として十秒間で五頁を読む、ということをやりましたが、ちょっと考えると、面倒な感じがするかもしれません。

 

それでは、最初から十秒間で五頁を読む、というのはどうでしょうか?

これが、やってみると全く駄目だ、ということが即座にわかります。

 

右脳に拍車を掛けて、猛スピードで走って半速に落とす、猛スピードで走って半速に落とす、というやり方をしないと、面倒なようでも、ことスピードを出すことに関してはなまけ者の左脳は、重い腰を上げないようです。

 

また、高速道路と一般道路を走る例を前のほうで出しましたが、いったん高速道路に上がらなければ、一般道路の時速四十キロを異常に遅く感じる現象は、起きないのです。

「疲れたよォ、走りたくないよォ……」

と、ダダをこねているのが左脳で、その手を引っ張って、何とか一緒に走ろうとしているのが右脳だ、というふうに擬人化して想像してみてください。

 

ところで、あなたが十秒間で五頁を読むことができるようになった、と仮定します。

それでは、あなたは二百頁の本を、いったい何分で読破できるでしょうか?

 

単純に計算すると一分間で三十頁、七分弱で読破できる、ということになりますが、そうは簡単に問屋が卸してくれません。

これまで、文章を読むことは、常に左脳が主導権を握ってやってきましたが、右脳は速読法の訓練で、初めて主導権を握り、左脳をリードして、イヤがるのを無理矢理に引っ張って走るようになりました。

要するに、運動不足で、スタミナが育成されていませんから、すぐに疲れて左脳に合わせ、ペース・ダウンしてしまいます。

 

厚い一冊の本を最初から最後まで速読法で読破しよう、と思ったら、これまでに述べてきたような訓練を、毎日、欠かさずに訓練していただかなくてはなりません。

どうすれば速読できるのか、の理屈はわかったと思いますから、あとはなまけずに続けることです。

視幅と識幅

さて、一行が四十二字の文章を、三分割ブロック読みで読むことができるようになった、としますと、一目で十四文字を見てしまう計算になります。

 

あなたは十四文字までの単語ならば、いっぺんに理解できる状態になったわけで、この十四文字を「認識できる幅」ということから、ジョイント速読法では<識幅>と呼びます。

そして、この識幅は、訓練によって面積を広げていくことのできる性質のものです。

 

あなたは、本をパッと広げた時に、どの範囲まで視野に入れることができるでしょうか?

これには個人差がありますが、たとえば貞の中央を見て、四隅に印刷されている文字が何であるか、識別することができますか?

 

もし識別できるようであれば、それが、あなたにとって「視野に収められる幅」ということから、ジョイント速読法では<視幅>と呼びます。

これはつまり、理論的には右脳の並列処理回路で取り扱うことの可能な範囲、ということです。

 

最終的には、訓練によって次第に識幅を広げていって(ただし、これにはかなりの時問を必要とします)、視幅に一致させることができます。

あなたの視幅が頁全体であれば、あなたはただの一目で頁全体の文章の意味を把握することができるようになる「可能性」があります。

 

これは、個人差が大きいので、どのくらいで、ということは言えません。

一冊を一分、あるいはそれ以内、というような超猛スピードの速読は、識幅を頁全体にまで広げて初めて可能になることで、いつまでも三分割ブロック読みのままでは、そこまでのスピードには絶対になりません。

三分割ブロック読みから二分割ブロック読み、さらには一行読みへ

ですから、三分割ブロック読みができるようになったと自覚できたら、一行の文章を上下のニブロックに分割して見て次の行に進む、二分割ブロック読みに挑戦してください。

 

三分割ブロック読みから二分割ブロック読みに進んだ時は、一行が四十二字の文章ですと、それまでは一目で十四字を見ていたのが、二十字に増えるわけです。

その次の段階は、行の中央辺りを漠然と見て、一行の四十二字を全部いっぺんに読み取ってしまうことです。

つまり、一行読みです。

 

しかしこれは、飛躍の幅が大きいので、なかなかできるようになりません。

そこで、新聞記事とか週刊誌の記事のように上下の幅の狭い文章の中央部分に視点を置き、スーツと横一直線に動かしていく、ということを試みにやってみてください。

成せば成る、成さねば成らぬ何事も……

繰り返して言いますが、速読法は誰にでも修得できる技術です。

 

五倍で止まるか、五十倍まで行くか、それとも五百倍まで行くか、五千倍などの途方もない倍数にまで上達するかは、訓練を受ける人の熱心さ、年齢、適性、人生体験、職業などによって大きく左右はされますが、とにかく絶対に修得できます。

音楽家は、一流になればなるほど、いっぺんに認識できる楽譜の面積が広がり、音符の数が増えていきます。

 

その音符は、主旋律だけでなく、伴奏の音符まで同時に認識するわけです。
人間には生来、それだけの能力があるわけですから、広範囲にわたって存在している意味を持つ記号--文字を、これまで繰り返し述べてきたように、並行して同時に認識できないはずがありません。

 

文字も音符も、何らかの意味を普遍的に他人に伝達しようとして考案された、ということでは、本質的に同次元のものです。

ところが、その障害となるのは、「文章は、最初から文字を一個ずつ、順番に読んでいくものである」という、長い間にわたって左脳にたたき込まれた直列処理の習性です。

 

直列処理の習性を完全に消してしまうことは不可能ですが、少なくとも情報の並列処理方式を、直列処理方式よりも劣位ではなく、同格にまで高めることは、充分に可能です。これは、意外なくらいスンナリできるはずです。

あとは、この上下の幅を広げていくことです。一行読みができたら、その次は二行、八十四字を全部いっぺんに見る訓練です。

意識と無意識の境界線上に自我をおいて読む

それには、まず何と言っても、直列処理回路を起動させてしまう最大の原因である、「強く意識」をしないようにすることです。

 

前のほうでも述べましたが、速読するのと同時に記憶もしてしまおう、と考えるのは、大脳生理学的にナンセンスなのですから、最初はまったく何も記憶しないつもり、単に情報を頭の中を素通りさせるつもりで速読するのが肝心なのです。

 

そう言われると、どうしても、「文章をいくら速く読んでも、内容を覚えていられなければ、全く何の意味もない」と考えてしまいがちです。

それは、直列処理回路に接続している記憶回路を使わないようにする、ということで、いつまでも永久に記憶しない、というわけではありません。

 

そして、並列処理回路に接続しているほうの記憶回路、右脳の回路を何とか文章用に改造し、強化することで代用させるのです。

人生経験の浅い小学生や中学生は、この改造が、ほんのわずかの訓練で、人によってはその日の内でもできますが、大人はどうしても、時間がかかります。

右脳の記憶回路とは

あなたは、海が好きですか、それとも山が好きですか?
どちらにしろ、あなたは自分の好きな場所の様子を、目を閉じれば脳裏に思い浮かべることができるでしょう?

 

再現能力の優秀な人(つまり右脳の発達した人)ですと、色彩も鮮やかに、パノラマとなって景色が眼前に展開するはずです。

中には、その場所特有の匂いさえも再現できる人がいる、と聞きました。

 

ところが右脳の発達度が低い人ですと、色彩の鮮明度が落ちて、モノクロになったり、景色が部分的にしかよみがえってきません。

それがつまり、右脳の並列処理回路に接続している記憶回路です。

現実に近い状態で(つまり、色彩、音、匂いなどの複数の要素に関する)記憶を脳裏に再現できる人ほど、右脳記憶力が優れています。

 

この記憶回路に、景色の代わりに文字記憶を刻みつけるのです。

そうしますと、脳裏に文章全体がいっぺんに、二次元的に再現される格好になり、直列処理方式による箇条書的な記憶とは、どうしても感覚的に大きな違いが出てきます。

無意識の記憶回路を訓練する

直列処理方式による記憶と、並列処理方式による記憶感覚の最大の差は、前節の小見出しに表したように、強く意識するかしないか、だと思います。

 

全く意識しないで文章を読め、と言っても無理な注文ですから、意識するでもなく、意識しないでもなく、ちょうど、意識と無意識との境界線上に自我を置く、といった感じで速読するように心がけてください。

そう言われてもピンと来る人は少ないと思いますが、これはスポーツ的な感覚です。

 

例えば、サッカーやバレーボール、バスケットボールなどをプレーしていて、いちいち自分の行動について考えながら動作していたのでは、敵方選手の迅速な動きに対処することができません。

ほとんど無意識の行動で、ボールや敵選手の動きに対して反射的に行動しています。

 

つまり、意識と無意識との境界線上に自我を置いているわけですが、それではそういう時の白分の行動を記憶していないかというと、まったくそんなことはありません。

 

「あの時、敵のA選手がこう動いて、自分はそれに対してこう行動した。しかし、あれはそうではなく、逆にこうすべきだった。そうしていれば、その後の局面が大きく変わったかも知れない……」

などと、きわめて鮮明に状況を再現して、克明に分析することさえ可能です。

 

この、半無意識的だが鮮明な記憶を、文章の記憶にも利用するわけです。

 

最初の内は、なかなかこれができませんが、それまでの記憶方式とは、ニュアンスや感覚があまりにも違うために、どうしても、「こんな頼りない読み方で、本当に記憶していられるのかしらん?」

という不安感も働いてしまうからでしょう。

 

そうすると人間の本性で、記憶したことが確実な直列処理方式に反射的、本能的に切り替えたくなります。

無意識記憶を再現できないのは、単にトレーニング不足のため

しかし、例えば催眠術などを使って確認してみるとわかるのですが、人間は、ほとんど意識しないで視野の隅でチラリと目撃したにすぎないようなシーンでも、ちゃんと記憶しているのです。

 

ですから、そういうシーンを容易には思い出せないのは、記憶していないからではなくて、記憶回路から情報を引き出すほうの回路をほとんど活用していないからだ、ということがわかります。

要するに、単なるトレーニング不足です。

 

そしてそれは、そういう回路が左脳の直列処理回路ではなく、右脳の並列処理回路のほうに接続しているからなのです。

突然ですが、あなたは耳を動かすことができますか?

 

世の中には極めて小数ですが、自分の意志で耳を動かすことのできる人がいます。

 

別にそういう人は、どこかが突然変異で変わっているのではなくて、どうやれば耳の筋肉を動かせるかを知っており、動かせない人は、筋肉はあるのだけれども、その必要がないので、動かし方を忘れてしまっている、というだけのことです。

 

並列処理回路に接続している記憶回路を活用できないのは、一つには、長い間、使わなかったので使用法を忘れてしまった、ということも考えられます。

 

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