速読元祖 川村式ジョイント速脳速読|日・米・中で特許取得する日本発・世界の速読を学ぼう|新宿から徒歩2分

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第三章 三日で身につく受験速読法

自己流速読法

気の短いのが受験生の特徴ですから、そろそろ君たちの中には、「いったい、いつまで小理屈をコネ回しているんだ?早く速読法のエッセンスとやらを教えてくれ!」と思っている人が出てきているでしょう。

 

まだ論理的には充分ではないのですが、際限がないので、ここで初歩の速読法に触れることにします。

まず最初にやることは、若い人だったら誰でも生活の中で実践している自己流の速読を、勉強の中にまで取り入れることです。

洋画の字幕スーパー

「誰でも実践している自己流速読法? そりゃ、いったい何だ?」 と思うでしょうが、その典型的なものは、外国映画、洋画です。

テレビ放映される洋画は台詞が吹替えになっていますが、劇場で鑑賞する洋画は、子供
向けの映画を除いた大部分が、画面の右端に「スーパー」と呼ばれる、翻訳の台詞を出しています。

 

君たちは、あの台詞をどういう調子で読んでいますか? 本や論文を黙読する時のように、一文字ずつ小さく声に出し、出さないまでも声帯を動かして、確認しながら読んでいますか?

いえいえ、とんでもない、そんな悠長なことをしていたら、次から次へと画面に出てくる新しい台詞を読むので手一杯になってしまい、肝心の俳優が活躍しているメインの画面を鑑賞しているどころではありません。

 

「私はどうも、洋両が苫手で……」と言っている人は、どうも映画を見ている時の様子を横から観察していると、台詞の文章をブツブツと口の中で小声に出して読みながら「鑑賞」しているようです。

 

そうすると、前にも述べたように、このペースでは一分間に四百字しか文字を読むことができませんが、皮肉なことに、洋画のスーパーの台詞が次々に現れてくるペースがまた、一分間に約四百字なのです。これでは、洋画鑑賞が苦手になってしまうのは、無理もありません。

字幕スーパーと視読

苦手の人の鑑賞方法は速読法には何の参考にもなりませんが、それでは洋画の好きな人は、いったいどんな台詞の見方をしているでしょう?

 

やはり一文字ずつ見ているには見ているのですが、 「急げや急げ、早くしないと置いていかれて、メイン画面を見られなくなってしまうぞ!」という強い心理的な圧迫が働いていますから、普通の黙読と違って、全く声帯を動かしません。声帯というブレーキが外れているので、かなりスピードがアップします。

 

このように声帯を全く動かさない黙読を、速読法では声帯をついつい動かしてしまう黙読と区別して、特に「視読」と呼んでいます。

黙読を単純に視読に切り替えるだけで、読書のスピードは一分間に八百字から千二百字程度にまでアップしてしまいます。

速読法の初歩の初歩としては、まずは、この視読の習慣を身につければ良いのです。

 

具体的には、例えば本を読む時に、まず歌を歌ったりハミングしながら読んでみてください。

そうすると、声帯は同時に一づの音を出す並列作業が不可能ですから、読書のためには動かすことができなくなり、結果としてブレーキが外れ、スピード向上につながります。

心理的圧迫

しかし、これではせいぜい、二倍止まりでしょう。

それは、「心理的な圧迫」という、スピードーアップには肝心な、もう一つの要因が欠落しているからです。

これを導入するためには、読書する時の頁めくりを、誰か他人に依頼することです。

その人物は一定時間が来れば、君が読んでいようがいなかろうが頁をめくって、先に進んでしまうようにするのです。

「あ、ちょっと待った!そこ、まだ読んでいないから ― などと君が慌てて言っても、その人物は絶対に聞き入 れません。

そうすると、嫌でもその人物の頁めくりのベースに合わせなくてはなりませんから、心理的な圧迫が導入されて、君は速読法が身につきます。

心理的圧迫を機械化する

しかし、この方法も、理屈としては理解できますが、現実には極めて実行困難です。

そんな手助けをしてくれる酔狂な知人は簡胝には見つからず、「お前、何を阿呆なこと言ってるんだ? いい加減にしろよ」ということになるでしょう。

 

その次に考えられる方法は、機械的な刺激を導入することです。

家にメトロノームがあったら、それを使います。

本の一行は約四十字で印刷されていますから、一分間で四百字というと、一行を六秒で読んでいく計算です。

 

このメトロノームを、まず一秒で一音を刻むように設定し、二秒で一行を読むんだ!」 と、強く自分自身に言い聞かせて、音に従って何が何でも先へ先へ読み進んでいきます。

そうすると、君は六倍の速読法を身につけることができます。

メトロノームがなかったら、秒針の音の大きな柱時計をテープーレコーダーに録音し、それを使って代用します。

 

この方法は最初は、あの「コツ、コツ、コツ……」という機械音が気になって気になって、仕方がないでしょう。

しかし、実際は逆に、それだからこそ良いのです。

なぜならば、機械音を聞き分けるのは右脳の役目だからで、常に右脳の回路がオープンされた状態にあり、将来の情報並列処理方式のマスターの布石にもなるからです。

コンピュータによる速読法ソフト

また川村式ジョイント速読法では、速読法を修得するためのコンピュータ・ソフトも用意しました。

その第一段階が「なぞり読み」で、文章の文字を一文字ずつ、しかし、段階を追って徐々にスピードを上げていくように、嫌でも上げるように努力しないと、文字が画面から消えてしまうようにプログラムが設定されています。

まず、充分にこの「なぞり読み」で訓練を積み、スピードをプログラムに従い、段階的
にアップしていってください。

 

これで、十倍までの速読法でしたら、自分のものにすることができます。

しかし、それ以上の倍率のスピードを身につけようとすると、まず最初の壁が現れるは
ずです。

 

それは、どういう性質の壁かというと、何が書かれているのか、画面の文字を読み取ろうとすると、文章が消滅してしまう前に最後のほうの文字まで読み取ることができない、という「取り残され現象」です。

メトロノームの速度を上げていった場合も、目がメトロノームのペースについていけない、という同様の現象が起きます。

意識の変革

なぜこういう現象が起きるのかと言うと、ここまでの速読法は実は右脳を活用したものではなく、単に左脳を訓練して、それまでの読書法の延長上にある方法で読書しているに過ぎないからです。

 

一文字ずつを確実に辿っていく直列処理の左脳では、ここまでが限界です。

この壁を乗り越えて、更に高度の倍率にジャンプするためには、ここで意識の変革をする必要が出てきます。

 

それは、文章を読み取ってやろうという意識を捨て去って、画面に文章が現れ、消えてゆく流れに身を任せて、文字が視界に飛び込んできて飛び去っていくことを勝手にさせ、自分自身は単に「文字が素通りするための器」に成りきることです。

いわば、昔の武芸者が目指した「無我の境地」といった状態です。

「そんなんで文章が読めるのか、文章の意味や内容を把握できなければ、速読法と言ったって、何の意味もないじゃないか」 と、君たちは思うでしょう。それが、違うのです。

 

実はこれで右脳が活性化されて、いつの間にか文意が読み取れるようになるのです。

いえ、正確には、「読み取れる」のではなく、文意が「勝手に向こうから飛び込んで来てくれる」状態になるのです。

果してそんな器用なことが可能なのかな、と疑問に思う人も多いでしょうが、ここでちょっと、音楽家が楽譜を読む場面を想像してください。

意識と無意識との境界線上で読む

優秀な演奏家、歌手は、初見で楽譜に従って演奏し、あるいは歌を歌うことができます。

この時、そういう人たちは、いったいどんなふうな感じで楽譜を見ているのでしょうか?

「最初の音符は、音階がこうで、長さがこうだ。その次の音符は……」

初見ですから、そんなふうに音符を一つずつ、確認しながら楽譜を見ていっているでし
ょうか?

 

いえいえ、とんでもない、そんな悠長なことをしていたら、たちまち伴奏から取り残されてしまいます。

スムーズに演奏し、あるいは歌うためには、いくつもの音符、休符をまとめて見て、また主旋律に並行して楽譜に描かれている副旋律も同時に読み取らなくてはなりません。

つまり、典型的な右脳主体による、並列処理方式の見方です。

模擬試験・カンニング・監督官

この時の見方が、強く意識して音符、休符を一つずつ辿っていく、というやり方ではなく、勝手に視野に飛び込んでくる情報を、意識と無意識との境界線上のような状態で処理する見方なのです。

心をそういう状態に置くと、並列処理回路は最大にオープンし、視野が広がり、認識できる範囲も広がるのです。

 

例えば、模擬試験の会場で、カンニング防止のために、監督官が見張っている状況を想像してみてください。

新米のまだ慣れていない監督官は、誰かカンニングをする不心得者がいないかどうか必死に見張りながら、前後 左右、常に視線を動かしています。

 

そうすると、前を見れば後が見えず、右を見れば左が見えず、というように、視野が狭まる現象が起きて、また受験生の側から見ても、監督官がどちらに注意を向けているかが明白ですから、カンニングをするには、カモです。

 

しかし、ベテランの監督官は、特に場所を決めずに漠然と全体に視線を漂わせ、受験生の動きが風景のように自分の視界に入ってくるのに任せます。

こういう監督方法を採ると、よほど広い試験会場でない限り、全部の受験生か視野に入ってきて、ちょっとでも他の受験生と違った不審な行動をする者がいると、そこだけ「動きのリズム」「流れのリズム」が狂うことから、カンニングを試みる不心得者を簡単に発見することができます。

そしてこの発見方法は。どこかにカンニングする者がいないか「鵜の目鷹の目」で神経を使って探しているよりも、遙かに容易です。

流れに任せて記憶していく

これは、専門棋士が対戦棋譜を記憶するのに「流れの美しさ」が重要な役割を果しているのと共通しており、速読法の修得にも大きなキイーポイントとなってきます。

 

また、偉大な音楽家の中には、たった一度だけ聞いたオーケストラの演奏を、帰宅後に完全に採譜することができた、という「神話」に近い伝説を残している人もいますが、これもその演奏の流れが素晴らしかったから可能になったことで、音楽的に全く調和がとれていない、出鱈目な演奏を聞かされた場合には、たとえわずか十分程度の演奏でも、再現することは恐らく不可能だったでしょう。

 

こういう、棋士や音楽家の「流れに任せて記憶していく」記憶方法が、速読法に伴って必要になってくる記憶方法なわけで、右脳の並列処理能力をフルに駆使した記憶方法なのです。

「なぞり読み」のスピードアップ

改めて言いますが、この記憶方法は、やれと言われて即座に実行できるものではなく。

下手に真似しようとしても左脳の直列処理回路を起動させてしまうだけなので、最初はとにかく記憶することは意識しないようにしてください。

 

川村式ジョイント速読法の訓練プログラムに従って「流れに任せて」いる内に自然に身についてきますから、のんびりと構えていることです。

さて、話を元に戻しますが、「なぞり読み」のスピードをどんどんアップしていくと、意識して文意を読み取ろうとしてもできないので、あきらめて文字群が視界に飛び込んでくる流れに任せるようになります。

 

そうすると、ベテランの監督官が試験会場の全体を見渡せるのと同じ理屈で、視野が広がり、優秀な音楽家が楽譜の音符群を見ていくのと同様に、いくつかの文字群が「意味を認識できるグループ」として目に飛び込んでくる現象が起こります。

これで、速読法の第ニステップに入ったことになります。

もう一つの自己流速読法から

ところで私たちは、日常生活の中でもう一つ、自己流の速読法を実践している場合があ
ります。

 

それは、チェーン店の看板文字の識別です。チェーン店というと、広義には都市銀行や信用金庫、デパート、有名メーカー、スーパーマーケットなどが入ってきます。

例えば、君がいつも、受験勉強中に空腹を覚えると、「セプンーイレブン」で夜食を買っているとします。

そして、ある日、ずっと離れた所にある友達か親戚の家に遊びに出かけた、と仮定します。

 

そうこうしている内に食べ物か何かを買う必要が出てきて、「おい、××君、すまないが、すぐ先にセブンーイレブンがあるから、これこれの品を買ってきてくれないか?」という話になったとします。

頼まれて出かけた君には、そのセブンーイレプンの別の支店が初めての店でも、即座に見つけることができるでしょう。

 

なぜなら、看板の文字は、デザインや色が君の行きつけの店と全く同じに統一されてい
るからです。

識別のグループ化

また、初めての上地に出かけていって現金を引き出す必要が生じ、君が口座を持っている銀行の別の支店を探した時も同様で、即座に見分けられるに違いありません。

そんな時、君は看板の文字をどんなふうに見て確認しているでしょう? 「セ」「ブ」「ン」「イ」「レ」「プ」「ン」と、あるいは「第」「一」「勧」「業」「銀」「行」と、一文字ずつ確認しているでしょうか?

 

いえいえ、デザインや色が統一された看板の文字は、六文字ないし七文字を、まとめていっべんに識別できているはずです。これが自己流速読法の第二で、洋画の翻訳スーパーの台詞を読み取るのと違い、右脳を使った「意識と無意識の境界線上で」読んでいる読み方です。

これを、現実の読書方法の中に導入するのです。

視幅と識幅

ところで、川村式ジョイント速読法では単純に視野に大ってくる範囲を、視覚の幅という意味で「視幅」と、その中で更に意味を認識できる幅を、「識幅」と呼んでいます。

速読法の訓練を受ける前の人の識幅は、読み方の遅い人ですと一文字、速い人でもせいぜい数文字で、五文字止まりです。

 

ところが看板文字を識別する例でわかったように、ごく普通の大でも、潜在的にもっと多数の文字を「意味を持った群」として一瞬の内に識別してしまう能力を備えているのです。

この識幅を、コンピューターを導入した科学的な訓練によって、十文字、十五文字、二十文字、三十文字、五十文字、百文字、二百文字……と段階的にアップさせていき、遂には視幅に一致させようとしているのが川村式ジョイント速読法の訓練なわけです。

 

第一ステップの「なぞり読み」では、ディスプレイの画面に文字が一文字ずつ現れてきました。

第ニステップに入ると、まず卜に文字ずつ、まとめていっぺんに出現し、一瞬で次の文字群と交代してしまうように、プログラムが組まれています。

 

端から順番に見ていったのでは、次の文字群が交代して出現する前に最後まで読み取ることができません。

先ほども述べたように、文字群が勝手に視野に飛び込んでくる流れに身を任せ、視点は明瞭にではなく、漠然と十文字の中央付近に置くようにします。

最初は何が何やら、まるで文意を読み取ることができませんが、その内に慣れてきて、十文字全部をまとめて読み取ることができるようになります。

 

そうしたら次は、十文字ずつ二行、あるいは二十文字ずつ一行で文字群が画面に現れてくる、上位のプログラムに進みます。

 

これはもう、端から順番に、という情報直列処理の習慣が少しでも残っていたら、まるでチンプンカンプンになってしまいます。最初の文字も、二十番目、三十番目の文字も同時に認識してしまうことが必要で、これができるようになると、君の速読法の倍率は、五十倍から百倍ぐらいにまで進歩しています。

コンピューターを離れての訓練

ところで、いつでもどこでもコンピューターを持ち歩かなければ訓練できない、というので、いかにも不便です。

また、コンピューターは、一定時間で文字群が画面から消滅してしまうようにプログラムし、強制することができますが、相手が印刷物の場合には、そういう強制要素を導入することができません。

 

そこで、コンピューターがない場合の、補助訓練教材も準備しました。

その補助訓練教材の内容と目的ですが、右脳は、繰り返し述べてきたように、物事の形を認識することが得意です。

そこで、形はあるが意味を持つていない、○、囗、△など、何でも良いですから、記号を文字がわりに、行にズラリと並べて印刷してあるものを速読用の訓練教材として用意をしました。

 

この補助教材の上下に二分割し、その半分ずつを、できるだけ素早く見て、次の行へ次の行へと移り、頁をめくって、次の頁でも同じ訓練を進めていきます。

現在の出版物は、縦に印刷されている文庫本や新書ですと、だいたいが一行につき、四十二字です。

これを二分割して、二十文字ずつまとめて見てしまう、ということです。

 

メトロノームなどを使った場合には、二秒以内に一頁を通過してしまうように設定すると良いでしょう。

コンピューターの訓練で、「固定式」の訓練の次に、「移動式」という訓練が出てきて、画面に次々と出現する文字群が現れる場所を変えますが、それは一つには、この読み方のためです。

一見無意味な訓練が!

とにかく、ただ無意味な記号だけを眺めていくわけですから、「何だか子供っぽい訓練だなあ……」と、君は感じるかもしれませんが、論理的なもの、何か意味を含んだものを、「消滅」という強制要素なしに教材として使用すると、どうしてもそちらの分野を担当している左脳の直列処理回路が起動してしまうので、それを防ごうとすると、どうしても最初の内はこういう訓練にならざるを得ません。

 

これ以外にも、まだまだ出てきますが、速読法の訓練にはそういう訓練が付きものなんだ、と割り切って、しばらくは我慢してお付き合いいただくしかありません。

形の認識は意味の認識につながる

さて、二点読みの訓練に戻りますが、君がある程度までコンピューターの訓練を積んでいれば、「上下の半分ずつしか見ていないにもかかわらず、それ以外の記号も全部、視野に入っている」ということに気がつくはずです。

視野に入るということは、即ち、認識可能であるということです。

 

形を認識することができれば、その形が何らかの意味を持っている場合には、その意味
を把握することができる、ということになります。

右脳読みは反復練習で

ところがそれは、あくまでも理屈の上のことです。

二点読み用の記号だけが印刷された頁をめくっていくうちに、文字の印刷された真に切り替わります。

すると、たいていの場合、そこでガタツとペースが落ちて、二点読みをしようとしてもできずに、一文字ずつを律儀に目で辿ってしまう、という現象が起きてしまいます。

 

頁を埋めているのが記号だけですと、記号の形状認識には左脳は全く関与しませんから、「二点読みで読み進むように」と指示されると、誰でもそのとおりに、行の二分割された半分ずつだけを見て進んでいくことができます。

 

ところが、無意味な記号に代わって、意味を持った文字が登場してきますと、「意味のある文字を読むのは、俺の出番だ!」 と、ばかりに、とたんに左脳がシャシャリ出てきて、それまで活動をしていた右脳に取って代わって、主導権を握ろうとします。

 

コンピューターによる訓練を充分に積んでいれば、この左脳の本能を抑制することが、ある程度まではできますが、とにかく今まで、そういう読書法をやっていないので、そうそう一朝一夕には行かないでしょう。

ちょっと訓練を怠ると、すぐに左脳主体の読書法に戻ってしまい、スピードーダウンします。

受験勉強における復習同様、反復練習が肝心です。

いかにして左脳を遠慮させるか?

繰り返しますが、速読法を修得するためには何とかして、文字の頁に入った時に登場してきたがる、律儀で出たがり屋の左脳に、遠慮させなくてはなりません。

 

それさえできれば、速読法はもう、五トパーセント以上、修得できたと言っても差し支えないくらいなのです。

そこで、コンピューターのプログラムの応用で、律儀な左脳に主導権を与えないために、訓練の中に制限時間の概念を導入していきます。

インストラクターにつくか速読ソフトを活用するか

先ほど、二秒で一頁を通過するように、メトロノームのペースを設定する、と述べました。

もちろん、メトロノームなどは誰でも持っているわけではありませんから、一定リズムで音を出すようにした物なら、何でも結構です。

 

一行を二十文字ずつ二分割の「二点読み」では把握する範囲が狭すぎて、二秒で一頁というのは相当に大変で、恐らく五秒ぐらいの時間はどうしてもかかってしまうと思います。

まあ、これでも二十倍程度の倍率にはなっていますから、本を速く読む実用性という点では充分に価値がありますが、この程度では右脳の活性化度も不充分で、右脳の並列処理回路に記憶するとなると、ほとんど役に立ちません。

更に右脳を活性化するために、とにかく百倍程度までは、頑張ってみることにしましょう。

 

百倍というのは、文庫本一頁を約一秒というスピードですから、時間から逆算すると、最低でも一頁を四分割して、いっぺんに百五卜字ぐらいを読み取るようにしないと、実現不可能です。

 

もっとと小さく、八分割とか十六分割でも一秒で一頁を読破できないことはありませんが、今度は目の負担が大きくなりすぎ、一冊の本を最後まで読み通すことができず、途中でダウンしてしまうことになります。

 

インストラクターにつかないで速読法を独習する場合には、なかなかこの倍数を本だけで修得するのは困難ですから、コンピューターのプログラムを活用することにしましょう。

固定式、移動式の両方のプログラムを活用し、一行読みができたら二行読み、更にその上の三行読み、と進んでいってください。

訓練で潜在能力が活性化

いえ、できる前に上の段階に進んでも、いっこうに構わないのです。

そもそも人間の大脳にはそれだけの潜在能力があり、ただそれが眠っている、怠けているだけなのですから、できないながらも訓練を続けている内に、次第に潜在能力が活性化して読み取れるようになってきます。

 

とにかく最初の内は、コンピューターを使っての訓練ならば文字群が自動的に消滅してしまうから何とかできるが、印刷された本に取り組むと実行できない、ということの繰り返しだと思います。

 

それはどうしても、消滅という強制的要因が欠如しているために、「見落としなく、キチンと読まなくては……」という、優位の左脳に起因する意識が、どうしても起動してきて劣位の右脳を抑制してしまうからです。

したがって、速読法を習い始めた初期の段階では、いかにして左脳のブレーキを外すか、作動させないか、が上達のキーポイントになってくるわけです。

速読で記憶は可能か?

さて、ここでもまだ、「右脳を活用した速読法が、本当に実現可能なんだろうか? 速読まではできたとしても、受験に役立つほどに、ちゃんと記憶できるんだろうか?」という疑惑の気持ちを持っている人は、多いと思います。

 

一つには。学校の生物の時間に、人間の言語、記憶、思考、想像などに関する中枢は大脳の左半球、つまり左脳だけに存在する、と教わっていることも、原因していると思います。しかし、全く右脳が役割を分担していないわけではなく、例えば漢字の識別には、右脳が非常に重大な役割を果たしていることがわかっています。

 

事故や病気で右脳に障害を負った患者は、ちょっとでも複雑な漢字は識別することができません。

例えば、同一部首の「絨」「綺」「緞」「縦」「絹」などといった漢字は混同してしまって、区別がつかなくなる、という認識障害現象が起きるのです。

 

しかし、アルファベットを用いている欧米人は、右脳に障害を負った場合でも、文字を識別できない、ということにはなりません。

それだけ、アルファペットは漢字と比較して構造の単純な言語だ、と言うことができます。

だからかつては、「白人は右脳に負傷しても文字が読めなくならないが、黄色人は読めなくなる。即ち、白人が黄色人に優っている歴然たる証拠である」などと言われて、人種差別の材料にされたこともあったと聞きました。

円錐細胞と棒細胞

また脱線してしまいましたが、つまり、漢字の識別には右脳がアシスタントとして働き、情報を左脳に送っている、右脳でも充分に記憶が可能だ、ということになります。

 

それから、君は文字を読む時に、視野のどの辺りで読んでいますか?

文字に限らず、何か注意深く観察しようという場合には、視野の中心で読んでいるはずです。

それは、視野の中心付近の網膜には、形と色を識別するのが得意な円錐細胞という感覚細胞が集まっているからです。

視野の外れのほうには、棒細胞という感覚細胞があって、こちらは色の識別は、それほど得意ではありません。

そこで、人間はついつい習性として、円錐細胞ばかりを働かせる、視野の中心でものを見るようになってしまうわけです。

 

ところが、この円錐細胞という感覚細胞は、暗い所ではスムーズに働いてくれません。君は、夜道で向こうから何かがやって来るのに気がついて、何だろう、と瞳を凝らすと闇に紛れてしまって見えなくなる、ところが、横目で見るようにすると何とか見分けることができる、という経験をしたことはありませんか?

そうです。棒細胞は暗い所でも活動するのです。しかし、人間は普段、棒細胞を識別に使っていませんから、棒細胞だけで識別しようとすると思うように行かず、苛々して仕方がありません。

 

川村式ジョイント速読法の訓練を行なうと、この棒細胞もフル活用するので、副産物として夜道でも物が良く見えるようになります。それはまあ、速読法とは無関係のことですが、君は文字を視野の中心でなければ読み取ることができませんか?視野の端で横目で見た文字は読み取れませんか?

右脳に文字情報回路を作る

人によっては最初は少し難しいかも知れませんが、ほんのちょっと練習すれば、横目でも読めるはずです。

つまり、文字というものは、視野の中心で見たら識別できるが視野の端のほうで横目で見たら識別できなくなるか、というと、そんなことはない、ということです。

つまり、右脳にも文字を識別する能力があり、しかも、右脳は並列処理が得意ですから、訓練すれば、いっべんにいくつもの文字をまとめて読み取ることができるようになるのです。

 

ただ、読み取った情報に意味づけする情報処理回路がなくて、機械的に全情報を左脳に送っていたために、速読ができなかったのです。

ですから、右脳に新たに情報処理回路を形成してやれば、速読法は可能になるのです。

 

最初は情報の記憶を意識してはいけない、意識すると右脳が起動しないで左脳が起動してしまう、と繰り返して述べたのは、普通の人では右脳に文字に関する情報処理回路が極めて不完全な形でしか存在していないからです。

 

右脳の発達度が低い人は、左脳だけを鍛えて左脳速読を可能にする、ということも理論的にできますが、左脳速読については稿を改めて発表することにします。

左脳読みから右脳読みへ

右脳と左脳の仕事ぶりを、ちょっと倉庫番の業務に例えてみましょう。

記憶回路が倉庫で、倉庫に次から次へと運び込まれてくる荷物が、文字の形で君が読んでいる情報です。

 

右脳の役目はアシスタントですから、荷物を倉庫の入口まで運んでくることで、そこで左脳の倉庫番に引き渡します。

左脳の倉庫番は、たった一人しかおらず、荷物を順序よく、倉庫の中に積んでいきます。つまり、直列処理です。

 

右脳は並列処理ができますから、例えると大勢の人数がいるのですが、左脳の倉庫番のほうが地位が上なので、左脳の処理ペースに合わせて、のんびり仕事をしていました。ところがここで、速読法の訓練が始まりました。右脳を左脳と同じ地位まで昇格させて、「左脳に遠慮していないで、お前たちのペースで仕事をやれ!」と命令したわけです。

右脳は多人数ですから、それまでの数倍、数十倍という(ハイ・ベースで荷物を運び込んできます。

左脳は、大いにうろたえ、慌てて荷物を倉庫内に整理するスピードをアップします。

これが、第一段階の「なぞり読み」です。

 

それでも、たった一人ですから、右脳が運び込んでくるペースに追いつくことはできず、荷物が倉庫の入口に山積みになって溢れてしまいます。

そこで、右脳もようやく、これではいけないと気がつき、今までは倉庫内への立ち入りはタブーで、左脳の独占だったのが、自分たちも倉庫内に入って、整理する作業に加わります。

 

しかし、「色」とか「形」という倉庫は自分たちの管轄でしたから、隅々までわかりますが、「文字」「文章」「論理」などばかりを入れる倉庫を扱うのは、初めての経験ですから、簡単には慣れることができません。

 

「なぞり読み」から「まとめ読み」「二点読み」までは、ちょっとしたステップにもかかわらず、なかなかその距離を飛び越えることができない、意識の変革が必要だ、と述べたのは、そういうことです。

なぜなら、並列処理でいっぺんに複数の文字を処理する、という回路が、まだ君の脳の中に形成されていないからです。

脳生理学者の実験

では、そのような回路を新たに作ることが、可能でしょうか?

「バイオコンピュータ」(甘利俊一著・岩波書店刊)から、面白い例を引用させてもらうことにします。

ある脳生理学者が、生まれたばかりの猫に、スキー用のゴーグルのようなメガネを掛けさせ、そのレンズに縦の棒線を描いて、何もない白い部屋で飼う、という実験を行ないました。

こうすると、猫は、どっちを向いても縦の棒しか見えませんから、自分のいる世界は縦の棒だけでできている、と感じるでしょう。

 

この仮説に基づいて大脳の神経細胞を調べてみました。神経細胞は「ニューロン」と呼ばれる再生しない特殊な細胞ですが、予期したとおり、この哀れな猫の視覚野には、横の棒に感じるニューロンが形成されず、縦の棒か、極めて縦に近い斜めの棒を検出するニューロンばかり・が、大量に形成される、ということが発見されました。

 

これは驚くべき発見で、大脳の秩序正しい整然とした構造は、遺伝子で完全に先天的に決められているわけではなく、後天的に学習によって形成される部分も、かなりの割合で存在する、ということなのです。

 

この実験に基づいて、更にいろいろ調べた結論としては、 「大脳細胞の大部分のシステム構成は、遺伝子に書き込まれていて、棒線の検出ニューロンなども、ある程度のことは遺伝子が決めている。しかし、これはかなりくあやふや〉な構造で、生後の視覚体験によって、この構造を修正し、精密化して固定していく」 ということがわかりました。

猫の場合ですと、生後の四週間から六週間の体験が極めて重要で、この期間にいろいろな角度の棒を見れば、その角度の棒に対する感度の良い検出ニューロンができあがり、角度の順に並んで、整然とした構造が固定できます。

逆に、生まれたばかりの猫が縦棒しか見られない、あるいは、横棒しか見られない、という環境に置かれると、多くのニューロンが、縦棒もしくは横棒に合わせて自己組織してしまい、それを見るのに都合の良い脳を作ってしまう、ということがわかりました。

ニューロンの自己組織

このようなニューロンの自己組織の例は他にもあり、たとえば、水鳥の「刷り込み現象」が有名です。

通常、アヒルなどの水鳥では、卵からかえった時に最初に見る動く物が母島ということになっています。

 

そこで、卵からかえってすぐに見る典型的な物が脳に焼きつき、これを母鳥と思ってその後を追いかけるように、脳の構造が決ってしまいます。

ですから、母島の代わりに動く機関車の玩具を見せれば、その機関車を母鳥と思い込んで、その後にくっついて歩きます。

改めて母鳥を見せて、思い込みを修正しようとしても、脳に「刷り込まれて」しまっていますから、もう修正は不可能です。

大脳の残り容量

君は、犬はしつけられるが猫はしつけられない、というようなことを聞いたことがありませんか?

また、サーカスの動物を実物やテレビ、映画などで見て、よく訓練されていることに感心した経験があるでしょう。

 

いずれにしろ、大きくなってしまってからの動物の訓練は非常に難しく、子供の時に訓練を開始しなくては、充分な芸を仕込むことができません。

これは、下等な動物ほど大脳の記憶容量が小さく、しかも、自分の生活に都合が良いように、どんどんニューロンのネットワークを固定していっているので、自由に使える記憶容量の残りが減っていくからだと思われます。

動物をしつけられない、訓練させられない、芸当を仕込むことができない、というのは、コンピューターで言えば「残りバイト数(容量)が不足です。新しいディスクと交換してください」 というエラー・メッセージが表示されたようなものです。

 

コンピューターならば、いくらでも新しいディスクと差し替えがききますが、生きた動物の脳味噌は、そうはいきません。

新しい情報を書き込むだけの残り記憶容量が脳になくなってしまったら、それでおしま
いです。

驚くべき大脳の記憶容量

下等動物ほど早々にこの記憶容量を使い果たしてしまいますが、最も高等動物である人は、「生涯学習」などと言って、死ぬまで勉強して何か新しいことを覚えることができます。

 

また、生涯で大脳の全ニューロンの内のせいぜい五分のIぐらいしか使わない、とも言われて、記憶容量の全部を使い果たすことは、ないようです。そこで、まだ情報が書き込まれていない残り容量を使って、文章を読むことに関しても、並列処理できるように訓練することが可能なはずである、というのが川村式ジョイント速読法の理屈です。

小・中・高校生の上達は驚異的!

とは言っても、人間も日々の生活で自分の生活に都合の良いようにニューロンのネットワークを編成していくことをやっていますから、年齢が高くなればなるほど、速読法のマスターは困難になります。

 

実際、小学生、中学生などの残り記憶容量の大きい生徒ですと、わずか一時間から二時間程度の川村式ジョイント速読法のレッスンを受けただけで、百倍以上の速読倍率になってしまう者も、珍しくありません。

また、単純な速読スピードでしたら、この速読法の創始者の川村先生を遙かにしのぐ猛スピードにまで上達する者が、いくらでもいます。

 

それは、川村式ジョイント速読法について川村先生が考案できたのが一一十歳代の後半で、完成させたのは三十歳代に入ってでしたから、既に大脳の残り容量が少なくなっており、若年層の弟子に速度の面で追い越される現象が起きるのは、やむを得ないことなのです。

 

君も、いくら頑張っても文章を並列処理で読むことができない、と思っても、絶対にあ
きらめないでください。

それは、君がこれまでに大脳の論理を分担している部分をフルに活用してきた、証明の
ようなものだ、と言うことができます。

 

しかし、君の年代では、まだまだ右脳の記憶容量は充分に残っているはずですから、で
きると信じて怠けずに訓練すれば、川村式ジョイント速読法は必ず身につきます。

短時間の訓練で上達する

また、訓練の話に戻りましょう。

最初の段階の「なぞり読み」でも、その上の段階の「まとめ読み」でも、意味が理解できなければ仕方がない、という考えがどうしても完全には潜在意識から抜けませんから、人間は多かれ少なかれ、どうしても文意を読み取ることを意識します。

そして、ついつい読み取れる範囲で訓練を止めてしまいます。

 

そうすると、これまでの処理回路で充分に対処できる、ということで、右脳に新しく文字情報処理のための回路を形成させることができませんから、そこで君の速読法の上達は、ストップしてしまいます。

右脳に新しく文字情報を処理する回路を形成させるには、 「何か書いてあるんだか、速すぎてサッパリ理解できない。チンプンカンブンだ」 という状態での訓練を、短時間で結構ですから、毎日、欠かさずに続けることが必要です。

右脳の記憶は無意識から引っ張り出す

人間が意識して記憶できる暈というのは、特殊な訓練を受けた大を除外すれば、それほど多くはありません。

 

読んでいた本を閉じさせて、何が書かれていたのか、内容を書かせる、初対面で別れた直後の人の人相や服装を脳裏に再現させ、言葉で表現させる、行ってきたばかりの初めての土地の風景を、スケッチーブックにデッサンさせる、といったことをやらせてみると、呆れるくらいできないものです。

 

それでは、全く記憶していないのか、忘れてしまったのか、というとそうではなく、例えば催眠術などを掛けて記憶を引き出すことを試みると、ものすごい胝の記憶が引き出されてきます。

つまり、人間は大部分の記憶を無意識の回路にしまい込んでしまい、どうすればそれを引き出せるのか、耳を動かす筋肉の例と似たようなもので、引出し方をスッカリ忘れてしまっているので、利用したくとも利用することができない、というわけです。

感覚人間と論理人間

この、利用したいのにできない記憶が、どうも分析してみると、右脳の回路にしまい込まれた記憶で、利用できるのは、左脳の回路にしまい込まれた記憶と、右脳の記憶のごく一部だけのようなのです。

 

それは、人間は長い問に渡って、感覚人間よりも論理的な人問を、直感に従う人間よりも分析してから行動を起こす人間を重視してきましたから、右脳の記憶を利用することが退化してしまったのではないか、と思われます。

退化はしたけれども元は可能だったわけですから、最初に挙げたO君やYさんの例力ように、時として訓練を受けないでも、一種の・先咀がえり一で、引出し町能々人間が出現する、というわけです。

直列方式から並列方式へ

この、通常では引き出すことが極めて難しい記憶が、即ち敏列方式で処理された記憶で、カメラで撮影したのと同じような形式で「立体的」に頭の中に入っているのです。

これを論理的、意識的に引き出して利用しようとしても、処理方式が違いますから、コンピューターふうに言えばエラーが出てしまって、利用することができません。

 

利用するためには、処理方式を変換してくれる「コンバーター」を脳細胞の中に作ってやらなければならず、その一つが川村式ジョイント速読法の訓練なわけです。

川村式ジョイント速読法で訓練し、次第に読書スピードがアップしてきますと、ある時点から、意識しては全く読むことが不可能になります。

 

ですが、確かに記憶回路には、しまい込まれているので、 「さて、何が書かれていたんだっけ?」と思い返してみると、読んだ(正確には、視界を単純に通過させた)文章が、脳裏に写真のように蘇ってくるのです。

しかし、その写真はピンボケで、ごく一部には焦点が合っている箇所もあるにはあるけれども、大部分は何が撮影されているのか、まるで読み取ることができません。

 

催眠術を使えば読み取り可能になるのですが、意識を使っての状態では、まだコンバーターが未完成なので、読み取れないのです。

撮影式反復訓練で加速度的短縮

このコンバーターは、川村式ジョイント速読法の訓練を長期間に渡って続けていれば次第に大脳の中に完成してきますが、最初は、とうてい使い物になる状態ではありません。

 

そこで、反復して読み返すということをやります。そうすると、同じ場面を二度も三度も「撮影」するわけですから、次第に焦点の合った部分が増えてきて、記憶の定着率は高まります。

 

最初のほうで、参考書を繰り返して読んでいる内に必要な読破時間が加速度的に短縮されていくと書いたのは、そういうことなのです。

参考書の一頁一頁が、そっくりそのまま脳裏に撮影されたような状態で蘇ってくるので、今までの君たちの参考書の記憶方法とは、明らかに違うはずです。

 

ところで、ここまで速読法を上達させようヒすると、ある時点で読み取る速度が、頁をめくる速度を追い越してしまいます。

当り前の話ですが、超能力者でもない限り・は、視野に入らない頁に印刷されている文章
は、絶対に読み取ることができません。

つまり、頁をめくる速度が速読法の上限になってしまうわけです。

 

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